早稲田大学新聞教育研究所所長、花田達朗教授が先日、16人の日本の大学生を連れて北京郊外の唐家嶺に住む「蟻族」と、旧日本軍の「三光」(焼き尽くす、殺し尽くす、奪い尽くす)作戦を経験した白洋淀の村落と生存者を実際に訪ねた。
若者に真相を知ってもらう
このプログラムは花田教授の同僚である野中章弘教授が提唱したものだ。野中教授は学生たちを教える過程で、マスコミの授業を選択している学生たちが日中戦争や太平洋戦争史に対しほとんど何も知っていないことに気づいた。
野中教授から見ると、「将来記者になる人」が、歴史を知らないのは明らかによくない。しかし、「日本では小学校から高校までいずれもしかるべきこの面の教育が不十分であるため、基礎知識さえ身につけていないことは決して学生自身の責任ではない」ことを野中教授も知っている。
歴史のほか、中国の実像も日本の大学生たちにとってはぼんやりとしている。長年記者を務めた野中教授から見れば、歴史であれ現実であれ、日本の最大の隣国の「真相」を知らないのは明らかに受け入れられないことだった。そこで、野中教授は2009年に学生をつれて南京を訪れた。相互理解をより深めるため、今年は別の学生たちを北京や白洋淀に連れて来て、「学生が現地で戦争の傷跡をその目で確かめ」、中国の現実を知り、中国の学生と交流を行うようにした。花田教授と野中教授はともに、「この世代の若者は真実を知る責任がある」と考えている。
きな臭さの漂う中日学生間の交流
花田教授と野中教授はいずれも、自分の学生が清華大学新聞伝播学院の学生たちと交流した時に、これほどきな臭さが漂うとは思いもよらなかった。
「清華大生の率直な考え方は私の心を突き刺した」。中国の旅を総括する時に、学生の太田緑さんはこう書いている。北京に着いた1日目に、太田さんと同級生は教授に連れられて盧溝橋中国人民抗日戦争記念館を参観した。ふだんアニメーションや映画・テレビ、スポーツのスターに注目を寄せる若い学生たちは、初めて残忍な戦争を目に見える形で実感したが、同時にいくつかの疑問も生じた。
交流が始まってすぐにその疑問を投げかけてみたが、たちまち清華大生の猛烈な反論に遭った。ある清華大の女子学生は「日本人は口先だけの謝罪に慣れているが、本当に謝罪の意識があるのか」と質問した。太田緑さんを突き刺したのはまさにこの言葉だ。太田さんも同級生も60~70年前に起こったあの戦争に対し、「ほとんど経緯を知らず」、しかも「戦争関連の責任も学ばなければならないということを知らなかった」。
学生たちに最初に戦争の傷跡を広げて見せたのは河北省安新県村東堤の朱徳順というお年寄りだ。朱さんが住んでいる端村では、旧日本軍掃討期間中、80人余りが殺害された「端村虐殺事件」があった。朱さんは、「中日友好のために、こうした悲しい過去のことはもう持ち出さなくていい」と再三言った。しかし、教授と学生たちに請われて、朱さんは夜のとばりがおりるまでずっとその年に目撃した放火、殺人、強姦、略奪といった暴行を話し続けた。朱さんのもとを辞す時には、すべての学生が朱さんに頭を深く下げて別れを告げた。学生たちを驚かせた朱さんが話した内容は、彼らが今までほとんど聞いたことがないことだった。
「旧日本軍の非人道的な行為をひどく悲しく思う。国に絶対に従わなければならず、さもなくば命を失うため、こんなに乱暴で残忍に人の命に対処するようになった。同じ日本人として、私はこれを憎らしく思う」と学生の1人の山下直人さんは書いた。
野中教授によると、日本では戦争のことを本で解説せず、これらの子供の両親も戦争を経験したことがないため、自分の口でこれを語ることもない。これらの若者は真実を知らないため、彼らを中国につれてきて、実際に戦争があった場所で「日本が中国侵略期間に行った殺戮や傷害は事実だ」ということを確認してもらおうとしたのだ。
野中教授自身も1980年代に南京で大虐殺体験者の証言を実際に聞いて初めて、これらの「真相」を確信するようになったのだ。教授の祖父と2人の伯父はいずれもこの戦争に参加したことがある。現地を訪ねるたびに新しい発見があり、しかも自分が依然として戦争の歴史をこんなにも知らないのかと恥ずかしさを感じる、と野中教授は語った。
日本の報道とは違った 「蟻族」
実際のところ、初めて中国を訪れるこれらの日本人大学生にとっては、中国の現実とかつての戦争の歴史とは同じようにばらばらでまとまりがないか、もしくはあいまいではっきりしないものだ。
彼らの印象では、日本メディアが言及する中国の若者は、唐家嶺の「蟻族」(大学を卒業しても正規の職につけず都市部郊外に住む若者たち。蟻のように知能が高く、集まって住んでいるのでこの名がある)と呼ばれる同年代の人たちか、またはサッカー競技場で日本の国旗を焼き払った「怒れる若者」である。
清華大生の案内の下で、日本人学生たちは唐家嶺に着いた。取材の結果とこれまで接していた報道内容とは全く異なっていた。取材を受けた4人の若者はいずれも「都市生活に対し希望を持っている」と言った。そのうち山東省から来た2人の大卒女性はちょうど北京に5日前に着いたばかりで、まだ仕事は見つかっていないが、「政府や経済という大きな環境のせいではなくて、自分の能力が十分でないからだ」と話してくれた。 この話を聞いて、加藤紗衣子さんには2人に敬服する気持ちが起こった。加藤さんはもともと、中国の学生も日本の学生と同様に、仕事が見つからないと、「経済の不景気」とか、「政府の措置が不十分だ」などと言って、責任を他人や政府になすりつけるのではないかと思っていた。
しかし、学生たちが目にしたのはこれほど悪い環境の中で中国の若者には強い向上心があることだった。今回の実地参観、訪問を通じて、日本人学生たちは、もともと「女子学生は単純なふりをし、男子学生はしっかりした見解をもっていない」と思っていた中国の同年代の人たちは意外にも「非常に強い自己責任感」があることに気づいた。これが加藤さんを最も驚かせたことだ。目の前の中国人学生は、たとえ一時的に就職できなくても、自分が国の発展を支える新鋭軍だと自信満々に言うだろう。特に2人の就職活動中の大卒女性が「国の発展のために苦しい目に遭っても構わない」と言ったのを耳にした後、加藤さんは「中国国民の向上心によって、今後の中国は更に繁栄に向かうことができるだろう」と断言するに至った。
清華大生と交流した時に、荒川麗末さんは、日本のアニメやスターについて話をしていた時に、清華大生は「日本人である自分よりも日本文化を知り尽くしている」ということに気づいた。これを嬉しく思う彼女にとって「あの瞬間は、早稲田大学の同級生とおしゃべりしているように思い、違和感は少しもなく」、反日感情もまったく感じられなかった。
先に事実を挙げた後に観点を発表すべき
人々の考えは大体同じだが、コミュニケーションを行う場合にちょっとでも注意しないと、誤解やいさかいが起こりやすいのだから、ましてや時には真相をはっきりさせにくいことがあるのもなおさらだということを花田教授は知っている。
北京滞在最後の夜に、早大と清華大の学生たちは南鑼鼓巷のあるバーで気軽に話し合い、3日前に激しく論争した雰囲気はすっかりなくなっていた。しかし、なお論争時の情景を振り返っていた花田教授は、「先に事実を挙げた後に観点を発表すべきだが、私の学生はあの時その順番を逆さまにしてしまった」と反省し、それが、清華大の学生の激しい反論を引き起こした原因となったと考えていた。
白洋淀で父親が旧日本軍に残殺されたお年寄りはもう怒りや悲しみの気持ちを表に出すことはなく、中日友好と、悲劇を再演させないことを心から望んでいた。 身をもって経験したこの場面によって、日本人学生は歴史を再認識するようになった。「戦争を経験してはいないが、歴史を背負う国に生きているため、私たちはいずれも責任を負い、一体何が起こったかを知り、そしてそれを語っていかなければならない」と太田緑さんは書いている。
新しく聞いた話、新しく目にした現実を通じて、花田教授も自分では比較的よく知っていると思っていたこの国を再認識し始めるようになった。花田教授は、中国はまるで奥深い山のほら穴のようで、自分がようやく穴の入口に立ったばかりのように感じている。
「今回の中国の旅によって、学生たちは教室で絶対に身につけることができないものを学び、学生たちの以前の偏見や固定観念を変えるだろう。これらの経験は学生たちが本当の記者になる時に役立つに違いない」と野中教授は信じている。
「北京週報日本語版」2010年5月14日