陈 燮君(上海博物館館長)

この度、上海市対外文化交流協会の主催による「中国に想いを寄せた30年 写生の旅――杉谷隆志水墨画展」が7月17日から20日にかけて上海中信泰富広場で開催される。これは中国の大地に想いを寄せる杉谷隆志氏の半生の呼びかけと言える。

日本墨美会会長を務める水墨画家で、水墨画の教育者でもある杉谷隆志氏は今年すでに81歳。若き日の彼は演劇活動を行い、国語教師を務め、日本の水墨画民間組織「墨青会」で事務局長を担当した。1970年代の初期から中国の改革開放にともない、杉谷氏は中国の大地に足を踏み入れ、その時から中国の文化、歴史、風土人情や大自然の風景が彼を引き付けるようになった。1970年代、杉谷氏は自ら書画研究会「炭火」を創立、それと同時に水墨画の月刊研究誌『炭火』を創刊し、中日両国の水墨画芸術の交流と伝授を積極的に展開し、水墨画芸術を普及させた。彼は書画研究会「炭火」の主旨の中に次のように書いた。「中国はわれわれ日本文化の母であり、日中両国の共同財産である水墨画芸術が炭火のように世界中に燃えわたることを願っています。」

 

  本誌はeマガジン6月号で『村上春樹のなかの中国』を編集・翻訳する際に、あらかじめ筆者に許可を得ずに掲載しましたことをここにお詫びすると同時に、今後、このようなことが再び起こすことのないよう気を引き締めて仕事に臨む所存です。

 

 

6年前、杉谷隆志氏は月刊誌『炭火』を『墨火』と改名した。この月刊誌は25年にわたって出版され、彼は月刊誌を通して中日両国の水墨画交流の動きや水墨画芸術の技法、中国の歴史・文化を紹介し、水墨画芸術の発展方向を探求し、水墨画芸術を振興させ、西洋人を水墨画の習得へと誘(いざな)った。彼はまた連載という形で日本の水墨画愛好者に呉昌碩、黄賓虹、斉白石、徐悲鴻、傅抱石、李可染など24名の中国近現代史上における水墨画芸術の巨匠を紹介した。

三十数年来、杉谷隆志氏は毎年、彼の仲間を引率して中国へ写生に来た。南はミャオ族の部落から北は長白山の天池まで、東は江南水郷から西は崑崙山脈まで、彼の足跡は中国の山河を踏破し、暑い砂漠の中でも寒風吹きすさぶ山の中でも、常に写生の楽しみの中に浸った。彼は常に次のように話していた。

「私の先生は大自然です。わたしたちは大自然を観察する中からのみ芸術を手にすることができます。私はいつも自分は『無方法の画家』であると言っていますが、いわゆる無方法とは、過度に技法に拘った作画でなく、主観的な意識によって絵を描き、題材によって筆墨を変えて構わないということです。いつも方法を模索していますから、いつも未完成だと感じる状態にあるわけです。私は画家ではなく、文人になりたいと思っているのです。」

 

 

 

杉谷隆志氏の水墨画の写生作品はその一幅一幅が写実的な内容を表現しており、また文人の息づかいに満ちた作品であり、中国の文化と大自然に対する崇敬の念と愛情が染み込んでいる。

8年前、杉谷隆志氏は高血圧から脳血栓症を患い、行動と言語表現能力に障害が出たため、もう中国には行けなくなるかもしれないと仰っていたが、身体の状態が少し回復すると、また学生や仲間を連れて中国へ写生に来られた。彼が自らの年齢や行動の不便を顧みずに画板を背負い、ふらつく足取りで写生の道を歩いている時、ある人が「中国はそんなにおもしろいですか」と聞くと、杉谷氏は次のように答えた。「1970年代から中国旅行ができるようになり、中国に行き始めると、中国の山河や歴史文化は本当に魅力的で、写生の旅はすでに70回を超えてしまった。なにしろどこを歩いても三国志や水滸伝、また有名な歴史的人物や故事に触れられ、唐宋代の詩文にも出会える。広大な辺境ほど面白い。少数民族の部落を訪ねるのも楽しく、日本の昔を思い出させる素朴さが一杯ある。こうした風俗はどれも絵の素材になる。中国の山河は規模も壮大で野性的なので、実際に行ってそれらを描く気を起こさせるのに十分だ。」

 

 

 

 

水墨画芸術を振興させるために杉谷隆志氏はまた中国各地の書画芸術界と連携して芸術交流を展開し、水墨画芸術の発展方向を探求し、水墨画芸術の技法を切磋琢磨し、更に北京、上海、東京で「杉谷隆志中国百景画展」を開催し、中日両国の文化交流を増進し、『中国山水画の技法』、『水墨画レッスンブック』、『趣味の墨絵超入門』、『水墨画自習帖』、『水墨画で辿る中国』などの本を著した。さらに、毎年4月には東京の朝日生命美術館と銀座のセントラル美術館で年に一度の「炭火展」と「墨美展」を開催して、中日両国の水墨画芸術愛好者の芸術成果を展示し、交流会を行い、水墨画芸術を普及して中国の文化と水墨画を紹介してきた。

杉谷隆志氏は日本での募金を通して、上海、北京、桂林、長沙、台湾などの地に何度も出資して中国の書画芸術界と共同で友好交流展を開催してきたが、その目的と意義は彼が毎回の友好交流展の挨拶の中で訴えている次の言葉に表現されている。「日本と中国の友好往来は、すでに1500年以上に及びます。それぞれ異国に骨を埋めた先覚者の阿部仲麻呂と鑑真、留学の成果を日本で見事に実らせた空海と雪舟、そのほか多数の先人の努力によって、日中の交流の歴史は築かれました。中でも書画芸術は日中両国が共有する世界に誇る素晴らしい文化です。21世紀を水墨画の時代に変え、書画芸術という平和の翼を世界に広げていきたいと考えています。」

 

 

 

今回の画展は、杉谷隆志氏が三十数年来、中日文化交流に熱心に従事してきたことと彼の人生に対する総括、回顧であり、中日両国の末永い友好的な付き合いを期待する願いを満足させようとしたものである。昨年、彼は、自分はもう引退すべきだと話したが、今年、彼はやはり自らの高齢を顧みずに今度の個展を積極的に準備した。個展に展示される40点の作品は杉谷隆志氏の無数にある中国写生作品の中のほんの一部分である。彼は写実の手法で当世中国人の調和的な生活の様子と大自然の景色を表現した。さらに中国の伝統文化に対する彼の敬慕の念や水墨画芸術が西洋画のように世界の人々の心に浸透するようにとの願望を表現したものである。

「北京週報日本語版」 2009年6月17日

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